第27話 「自称・正義のヒロイン」


 田中学はいつも以上にビクビクしながら、少し離れた街にある、週に2回通う学習塾への道を急いでいた。
心身ともに小さくて貧弱な彼は、学校でも塾でも街中でも、何かと悪そうな連中に目をつけられては被害に遭う。
まるでその手の奴らを引き寄せてしまうような、ありがたくない特殊能力でも持っているかのように。
見た目から弱々しく、また態度もオドオドしているから目につきやすいのか。
弱い奴を相手にしないタイプの喧嘩好きはともかく、弱い者いじめの場合だけは調子に乗る
半端な悪い奴らにとっては、彼のような少年は実にやりやすく、また標的として目立ちやすい。

 加えて今、彼は鞄の中に大金を所持している。月末なので、塾に月謝を払うため親から預かっている金だ。
学の通っている塾は古い体質なのか、この時代にして支払いを銀行の口座振り込みに対応させておらず、
生徒に直接持ってこさせるシステムを未だに続けている。
普段持ち慣れていない数千円の現金、しかも自分のものではなく塾に納める大事な金であるという認識が、
彼をより注意深く、臆病な気持ちにさせていた。

「おい」
 嫌な声が聞こえた。また誰か柄の悪い男が自分を呼び止めているのだと確信し、学は怯えた。
聞こえなかったふりをしてそのまま歩いて行こうとした…が、その声を聞いた時点で彼は大きくビクッと
半ば飛び上がるかのような反応を示してしまっていた。今更気づかなかったという芝居は通用するわけがない。
「お前だ、お前。聞こえてただろ」
「チビの分際で俺ら無視するとかよ…ナメてんな」
 背後からだけでなく、前からも男たちが近づいてきて、学は瞬く間に6人もの男に包囲されていた。
いつも校内外で彼をいじめる少年たちよりも喧嘩慣れしてそうな、顔も服装もいかつい外観の男たちだった。
気弱な学本人は俯いてしまって彼ら全員の顔までは見られないようだが。
このあたりの中学校らしい制服を着てはいるが金髪でオールバックの男。
NBAチームのレプリカユニフォームを着た、ドレッドヘアの男。
丸刈りに稲妻のような刈り込みを入れ、口ひげを蓄えた男。
よく日焼けした、長い茶髪をカチューシャでまとめた男。
黒縁の眼鏡とパーマをかけた、ヒップホップファッションの男。
そして彼らの中で最もよく目立つ、ベースボールシャツ姿の、丸々として100kgはありそうな男。
年齢はまちまちだが、彼らはこの街で遊び回っては様々な悪事を働いている仲間たちだった。
日頃自分の身の周りではまず見かけない凄みの効いた集団に、学が何も言えるわけはない。

「お前、金持ちってツラしてんな」
「!」
 彼らの目的はやはり、学が今日たまたま持ち合わせていた現金だった。
「見ろ、この顔。そうですって言ってんぞ」
「正直で感心だね~、ボク」
 怯えがあからさまに顔に出てしまい、金を持っていることを伝えてしまった学。
地元の町の中高生よりさらに性質の悪そうな6人組に取り囲まれては、ひ弱な小学生の彼に打つ手などない。
「さっさ出せ、コラ」
 この程度の子供は殴るまでもない。少し脅すだけで十分だ。
ただ声をかけるだけで何千円かの儲け。楽な収入になる…はずだった。

「そこまでよ!」
 突然、どこかから声がした。
男たちがあたりを見回す一方、学は彼らに取り囲まれた瞬間を超えるほどの青ざめた反応を示した。
また、あの女が現れた…と。
地元の町内でも違う町でも、自分がピンチになると決まってどこからともなく現れるあの女…
「あいつだ!」
 男たちのうちの一人が、上のほうを指さす。仲間がそれに従ってその方向を確認すると、
誰かが腕組みをしたまま高い塀の上で、何やらポーズを決めたような立ち方をしていた。

「なんだお前?」
「あなたたちに名乗る名前はないわ!」
 急に現れた、声で女とだけはわかるその人物は妙に芝居がかった物言いで応えた。
学を取り囲んでいる男たちの方角からその女のほうを見上げても、今はちょうど夏の強い日差しが逆光になっている時間帯で、
彼らが目を細めて見てもそれがどんな人物なのかはわからない。
「わけわかんねー奴が来たぞ、どうする?」
「うるせーから、あいつから黙らせとけ」
「俺ら、時間ねーってのによ…おい下りてこい、邪魔すんなら泣かすぞ」
 弱そうな小学生が標的の、楽なカツアゲを妨害された男たちは苛立って、その邪魔者の女の排除に向かう。
(また、いつものパターンだ…)
 学は暑い季節なのに冷たい汗を浮かべて、それまで以上に怯えた。
自分に降りかかる危機にではない。これから目にさせられる惨劇に。

「か弱い男子小学生に大勢で強盗なんて、恥を知りなさい!」
 正義の味方を気取った口調の彼女は塀から飛び降りると、側転からバック転への連続で
男5人の脇を素早くすり抜け、一番奥にいたパーマの男の目の前に出ると
腕の力で飛び上がり、きりもみを加えながらの飛び蹴りを打ち下ろした。
その男が吹き飛んで奥の塀に激突する音で、残りの5人が起こった事態をようやく把握するほどのスピードだった。
「がはっ……が…」
 みぞおちへの蹴りで吹き飛ばされ、コンクリートの塀で背中を強打した男は、肉体の表裏を襲う重い衝撃に
息を封じられ無音の号泣の尾を引かせて、ズルズルと塀に身をこすりながら地面に沈んでいった。
「な…なんだ!?」
「お、おいヨネ!」
 彼らがまるで目にすることのできなかった一撃によって沈められた、ヨネという仇名らしい男を
彼らは気遣いたかったが、数メートル先に吹き飛ばされたその男との間に立っている正体不明の女に阻まれるように
近付くことができないでいる。
(どこの誰だ…こいつ!見たことねーが)
(でかくて締まった体してるけど、なんか顔だけガキっぽいな…どうなってんだ)
 その女は身長170cm弱、ベージュのホットパンツから形よく伸びる長い脚は日差しを受けて縦に溝の影が刻まれるほど
鍛え抜かれた筋肉の膨張が見て取れて、それを目にする男たちの誰よりも、太さがある。
それでも不恰好に見えないほどの長さがある脚線美だった。彼らの中には劣情を隠せない者もいる。
それに反して、顔はやけに幼い。今までカツアゲの対象にしていたそこの男子小学生と大して変わらないように見えるほど。

「あ…あ…ぁ……」
 全身に鳥肌を立てて口をパクパクさせる以外に何もできない学のほうに目をやったその女は、
「見てて、学君。学君にちょっかい出すような悪党は今日もかるーくやっつけちゃうから★」
 当たり前のようにそう言うと、横向きのVサインで瞳を挟むようにしながらウインクを送った。

 そうしてよそ見をしていた女に向かって、1人の男が掴みかかる。
「ナメんな!!このヤ…」
 スパ――ン!!
「!?」
 1人、数の減った残りの男たちがまた固まる。
彼女に詰め寄っていった仲間が突然、目の覚めるような打撃音とともに頭の周辺から汗の玉を大量に発散させたかと思うと
操るのをやめられたマリオネットのように全身の関節を折り畳みながらその場に潰れた。
何が起こったのかは、彼女がそのよく鍛えられた足をゆっくりと地面に下ろしていったことで把握させられた。
「スローすぎて、待ってられない。どうせこれも、見えなかったんでしょ」
 彼女がスニーカーに包まれた爪先で、KOされてへたり込んでいる男の額をチョンと押してあげると
その男はアヒル座りのままの仰向けでドサリと横になった。眼球はそれぞれが逆の方向を向いていて、意識は失われている。
「ぐっ…タケ!」
「今、タケはあんだけ近づいてたってのに、どうやって当てたってんだよ…」
「知るか!…何者なんだこいつはよ……」
 残った4人が顔にも背中にもじっとりと大粒の汗を浮かべたのは、夏の暑さのせいではない。
タケと呼ばれていた大柄な男は、彼女の胸ぐらを掴まんとするほど、接近状態にあったはずだった。
その距離から、顔面もしくは頭部に蹴りを食らわせたというのか…並の体の柔らかさではない。
加えて、彼らの仲間内でそのタケというのは喧嘩で打たれ強さを誇っていた男だった。それを一発で気絶させたのだ。

「さぁ、次は誰から正義の鉄槌を下してほしいの?」
 また、芝居じみた台詞を口にして、幼い顔をしながら恐ろしい武器を備えたその女は
ごく短時間で2人の男を始末した美しき凶器と呼べる脚をまたゆっくりと上昇させていき、腕組みをしたままY字バランスを取って
全くグラつく様子も見せずに男たちを待ち構える。
単に筋トレや格闘技をしているだけではこんなことができるはずはない。彼らはまたたじろぐ。
彼女に守ってあげると約束された、学もそれを見て冷たい汗にまみれた。
また、あの地獄が始まる…あの子がああして、手で支えないY字を決める時、あれはあの脚で処刑を開始するというサインであることを
彼女の同級生である学は知っているのだ。


 これがY小学校6年3組出席番号10番・芹沢琴乃。
幼稚園の頃から、特撮の戦隊もの、ヒーローものに熱くなって観ているような女の子だった。
群がる悪をなぎ倒す正義の味方のように、自分がなりたいと思いながら観ていたのだ。
特に琴乃が惹かれたのは、いつかの年に放送された戦隊ものに登場したピンクのヒロインだった。
新体操をやっているという設定の彼女が見せた、アクロバティックな動きで戦闘員の群れを次々と蹴り倒す姿に
幼き日の琴乃は『目指すべき人物』というものを見出した。
その番組のある回の放送の中で、そのヒロインは悪の組織に人質にされた小さな女の子を救出した後、
感謝の言葉を述べながら抱きついてくる少女にこう語った。
「女の子に生まれたなら、大好きな男の子を守ってあげられるくらい強くならなくっちゃね」
 その言葉は幼き日の琴乃の心に強く刻まれ、小学校6年生になった今でも座右の銘として残り続けている。
今ではさすがに、特撮ヒーローものが作り話であることは十分わかっている琴乃だが、いつかテレビの中の彼女が言ったことは
琴乃にとってまぎれもなく本物の、人生の道しるべとなったのだ。

 彼女に憧れるままに、琴乃自身も新体操を始めた。
その競技の大会に出て活躍したいなどとはほとんど考えず、強くなるための手段として、そのスポーツを選んだのだ。
実際、新体操そのものに関しては全くうまくいっていない。基本的にドジなのか、個人競技でも道具は落としてしまうし
団体競技でも他の子と息が合わずに好成績が収められず、大会に向けて今までレギュラーに選ばれたことはない。
しかし、琴乃本人がそれに対して落ち込んだりすることはなかった。目指すものが違うからだ。
新体操の大会で上位に入ることが目標なのではなく、新体操の動きを格闘に生かすことを考えていた。
あの憧れのお姉さんのような素早く華麗な動きで悪い奴らを蹴散らして、好きになった子を守ってあげたい…
そのために練習は欠席することなく人一倍集中して臨んでいたし、自分で考えたトレーニングまで積んでいた。
彼女の通う新体操教室内でのレギュラー選考でこそいい点数は取れないけれども、明るい性格と熱心な練習姿勢、
そして日々の鍛練で磨き抜かれた逞しい肉体と167cmにまで伸びた身長は、教室内で下級生たちの憧れの的となり、
同学年の生徒からも人気を集めている。
研ぎ澄まされた刃物を思わせる、スリムでいながらしなやかな筋肉に覆われた肉体を白いレオタードで包むその姿は、
彼女が幼少の頃に胸を熱くして観ていたあのアクション女優を、既に上回ってしまっている。

 167cmの琴乃は、長身少女が集うY小学校6年3組の中では埋没してしまう程度の高さではあるものの、それはただ立っている時だけの話だ。
新体操をベースに培われた下半身の強靭さ、そして身軽さによって、垂直跳びは全クラスを通じて圧倒的な数値を叩き出し
助走ありなら成人用のバスケットゴールでも楽々ダンクシュートを決められる。
小学校の校庭に置いてあるミニバスケットのゴールなら、シュートの後にゴールリングの上の枠に掴まって
さらにそこで逆立ちして遊んだりするほどだ。
身体能力が高い人のことを、よく『バネがある』と表現することがあるが、彼女はまさに全身がバネだった。
柔軟に動き、力強く弾む。そして発生するそのパワーは、このようなことに用いられるのだ。


 ドギャ!!

 ガシャン……

「あ、ぁぁぁ……!」

 3人目が、彼女の脚の餌食となった。残る3人は下顎が震え、声が言葉にならない。
まごつく男たちに痺れを切らせたかのように、琴乃のほうから彼らに接近し、その中で最も上背のある180cm弱の男の
懐に素早く入り込んだ。その動きは、当然彼らの目で追えるものではなかった。
そして左足で地を蹴り、右足が真上に槍のごとく一直線に突き出された。
足で人体を蹴っただけとは到底思えない音が周囲の空気を震わせ、顎を突き上げられた大柄な男は
まるで発射台から射出されたかのように空へと放たれ、その路地に面した平屋建ての民家の屋根の上に上がったまま落ちてこない。
あれを食らって意識を保てているはずがないことは、誰の目にも明らかだった。屋根の上で、深い眠りについているだろう。
もう成人男性と同等かそれ以上の体格だった男が一発の蹴りで数メートル真上に吹き飛ばされたその光景を目の当たりにして、
「ど、どうすんだあんなの!カッちゃんまで一発で…」
「うるせえ、相手はたった1人の女じゃねーか!一気にまとめてかかれば…」
 残りの3人のうち、リーダー格らしきよく太った男はそう檄を飛ばすが、
あとの2人は6人組の中で最も体格に恵まれていない小柄な男たちで、琴乃にも身長で負けている。
完全に飲まれてしまっている2人の仲間に苛立ちながら、太った男はズボンのポケットをまさぐり出す。
「くそっ、使えねー奴らだ…こうなりゃ!」
 だがそんな、何か企んでいる動きを琴乃は見逃さなかった。
「よくあるパターンね。そんなの、待ってあげるわけないでしょ」
 タッ!
 地面を蹴り出す音が聞こえたと思った次の瞬間には、琴乃はその男の上を舞っていた。
彼がポケットから何かを取り出し終える前に、琴乃は彼の両肩の上に降下して一瞬倒立の姿勢となり、
そこからすかさず体を反転させ、ホットパンツから伸びるすべすべの脚で彼の太い首を捕獲した。
「あがっ!!」
 女の子の太腿のいい感触を楽しませてあげる暇など、もちろん与えない。
男の首を挟み込んでから、力の込められた琴乃の太腿は瞬時に太さと硬さを増し、鋼鉄のギロチンと化した。
太腿の盛り上がる力瘤に圧迫され、贅肉のたっぷり乗った男の顔はより不細工に肉が寄って風船のように膨らみ、
見る間に赤紫に変色していく。毛穴という毛穴から大粒の汗の玉が噴出し、黒目が瞼の裏に引っ込んでいく。
酸欠にもがき苦しむ暇すらも与えなかった。
「そーぉ、れっ!」
 掛け声で気合を入れた琴乃がさらに体を後方に回転させると、100kg級の男の体が引き抜かれるように離陸する。
琴乃の全身の力とバネにより、男は縦の竜巻にさらわれて高速で円を描かされて…砂利の地面に頭頂部から突き刺さった。

 ゴッ…

 自分の倍以上ある体重の男を太腿で瞬時に絞め落としながら、同時に軽々とフランケンシュタイナーで投げ飛ばし、
夏の熱した地に串刺しにしてしまった。
舞い上がる砂埃の中で、男は傍目から見て実に不自然な姿勢に折れ曲がり、そのまま動くことなく
頭と両脚で不細工な三脚となって、地面の上で奇妙なバランスを取り続けている。
もちろん、起き上がってこられるはずはない。
男の手がポケットからようやく離れ、手から伸縮式の特殊警棒が転がり出た。

「じょ、冗談じゃなえ!」
「逃げろ!!」
 あっという間に2人だけにされてしまった不良少年グループは、もはや戦意など残されておらず
1人の女子小学生相手に逃げ出す醜態を演じようとしていた。
日頃の喧嘩で最も戦力になっていた、他のメンバーを先にやられてしまい
残された自分たちでは到底太刀打ちできないと踏んだのだった。
中でも最後にやられた、あの巨漢である先輩格の男がまるでスポンジの人形みたいに軽々と空中に振り回され
叩き付けられて一撃で伸ばされたあのシーンは、彼らにとって悪夢としか言いようのないものだった。
「逃がしてあげるとでも思ってるの?この悪党!」
 ボン!!
 琴乃は自分に背を向けて走り出した男たちのうち1人の尻に蹴りを入れた。
琴乃の脚力により発射された男はまるでアイスホッケーのパックのごとく地面を滑走し、もう1人の男を瞬時に追い抜いて
すぐ近くのブロック塀に顔面から激突した。鈍く重い音が響き、衝撃でやや老朽化していた塀のブロックが一つ落下した。
自分がスライディングした跡を地面に残し、気を付けのような姿勢のままその男は壁に顔をくっつけたまま
ピクリとも動く様子を見せない。
「あ……あああ!!」
またも仲間の悲惨な末路を見せつけられた、最後の1人となってしまった男は半ば気のふれたような悲鳴を上げた。


 一方、助けてもらっているはずの学も奥歯が噛み合わずに震えてばかりいる。
典型的ないじめられっ子の学は、低学年の頃から校内でよく他の子からからかわれ、叩かれ続けてきたが
4年生の頃からそんな彼に救いの手が伸びるようになった。それが、当時隣のクラスにいた、琴乃だった。
正義を愛する少女・琴乃は、もちろん他の子、時には上級生のいじめられっ子をも守ってあげて、
いじめていた子を蹴り飛ばしていたのだが、中でも学のことは重点的に気にかけているようだった。
学が囲まれて悪口を言われ、小突かれ蹴られでもすれば、彼女は飛んできた。
彼女が学に対して、やったことの何倍もの痛みを確実に返し、泣かせた。泣かせるだけで済めば、まだいいほうだった。
それは、彼女が幼き日に学んだ正義の心によるところもあったが、それ以上にあったのは、学への好意だった。
なぜか、小さくて弱々しい学に恋心を抱いた琴乃。
彼にいいところを見せようとしたのか、彼にちょっかいを出していた悪い子たちを優先的に、張り切って打ち倒してあげた。
そうすれば、学は気にってくれると考えたのかもしれない。
しかし、学は自分が痛めつけられるのはもちろん、第三者として誰かが痛めつけられるシーンを見るのも非常に怖がる
いたいけな少年なのだった。
そんな気の小さな学にとって、琴乃が正義の力を行使する現場は刺激が強すぎた。
琴乃が4年生の頃、ふざけた気分で学を殴っていた6年の男子児童に蹴りを入れた際、その6年生は勢いよく飛んで行って
階段から落下していった。派手な物音を聞いて担任に保健室へと運ばれて行ったその少年は
琴乃に心の奥深くにまで恐怖を植え付けられ、誰にやられたのかと聞かれても何も答えようとせず、
結局それは自分の不注意で転げ落ちたという結論となり、それ以上の犯人探しは行われなかった…

 学が琴乃を恐れているのは、その強さよりも、そんな容赦のなさだ。
6年3組に武闘派女子児童は少なくないが、素直に謝れば許してあげる佳織や美由紀、泣かせば大体気が済む谷口姉妹、
相手と力の差がありすぎるのを知っているので最大限手加減しながらいたぶる智恵理や亜由美など、
無茶なことをしているように見えて、あるところで線を引くことを心得ている子がほとんどだ。
しかし琴乃にはそれが感じられない。今日披露されている、不良少年たち相手の大暴れがいい例だ。
絞め落とした後に、さらに投げ飛ばして地面に突き刺したり、逃げ腰の男を蹴飛ばして失神させたり…
体の扱い方の練習ばかりに打ち込んで、武道などで大事なことを教わりながらの鍛練ではないことが
この線引きを知らない人間凶器を生み出してしまったのかもしれない。

 今ではY小学校の中で、学に手を出そうとする男はもういない。
いきなりどこからか現れるあの女に、地獄を見せられるという経験や噂が広まりきっているからだ。
だが、学校の外となると、いまだに存在する。
学の、いじめっ子を引き付ける何かに反応してうかつに手を出し、何十倍もの痛い目に遭わされる他校の小学生、中学生、
またはそれ以上の男が…
そうして身を守られるたび、凄惨な光景を目にさせられて琴乃に目も合わせられない学。


「ご、ごめんなさい!!僕たちが悪かったです!!」
 たった一人残された悪ガキは、誰にも要求されていないにもかかわらずその場に両手をついて謝り始めた。
先にあのような末路をたどった、5人の仲間の後を追いたくない一心での行為はこれしか残されていなかった。
「謝ったぐらいで許してもらえるんだったら、正義の味方は必要ないの」
「…え?」
 平伏した男を見下ろしながら琴乃が口にした言葉は、あまりに冷淡なものだった。
「悪い奴ってのはね、その場を切り抜けるためならどんな嘘でもつくものよ。私には、そんな小細工通用しないから」
「そ……そんな!!」
 彼女が守ろうとしたチビの小学生に向けていた優しい表情とはまるで別人の冷たい口調と視線を見上げつつ、
男は背筋を凍らせるとともに、絶望の眼差しの先にあった少女の姿が涙でぼやけていく。
「反省の仕方、教えてあげる」

 ボゴ――ン!!

 真っ青な夏空に、鋭く肉打つ音が響き渡った。
涙が飛び散って所々に虹を作りながら、制服を泥まみれにした男子中学生が砂利道を転がり、砂埃の舞う中を滑って止まった。
頬に、琴乃の履くスニーカーの甲の形が忠実に刻印され、血走った目を剥いて痙攣している。
6人の男を6発で処刑完了した琴乃が、その凶器の美脚を埃を払うようにパンパンとはたきながら、学のほうを向き直す。
「もう安心よ、学君★強い私の活躍、見てくれた?」
 それは今までの所業の張本人とは思えない、かわいく優しいクラスメイトの女の子の笑顔だった。
「はっ…はっ……ひぃぃ!!」
「あっ、学君…」
 学は力を振り絞り、全速力でその場を走り去っていった。
いつもこうだ。学は絡んでくる悪ガキどもを琴乃に蹴散らしてもらった後、お礼らしいお礼も言わずに逃げ出してしまう。
「もうみんなやっつけちゃったから安心なのに…変な学君」
 学が変なのではない。琴乃が恐ろしすぎるのだ。

(学君…いつも助けてあげてるんだからたまには甘えて来てくれてもいいのに)
 ふと、学校の中で見かけたあの二人の様子を思い出してしまった。
同じ3組の正也が、大きな奈央にすがりついて甘えている様子を目撃したことがある。
教室で二人きりになると、おとなしいはずの正也は甘えん坊に豹変して奈央に抱き付き、
そのムキムキの肉体に全身で愛を捧げている…そして奈央も、そんな正也を慈しむように頭を撫でてあげていた。
琴乃はとある放課後、そんな光景を発見して物陰からじっと見ていたのだ。
あの二人がいけないことをしていたとは思わない。ただ、普段物静かな二人のことだったから意外なことで驚いただけだ。
水谷さんと黒木君はそんな関係だったなんて…いけないどころか、羨ましかった。
本来は琴乃が、学にあんなことをしてきて欲しいと常々願っていることだったのだ。
「琴乃ちゃん!助けてくれてありがとう!」
「私は正義のスーパーヒロインだもん、当然のことをしたまでだわ」
「あああ強くてかっこいい琴乃ちゃん!大好き!!」
「あん、ダメよ学君!そんなとこに抱き付いちゃ」
「ああ~なんてすごいんだ琴乃ちゃん…このきれいな脚からあんな必殺技を見せて、僕を守ってくれるんだ!」
「やーだやめてよ学君、太腿にキスなんて…きゃーくすぐったい!」
 自分自身が、最も学を恐怖させていることに気付きもせず、琴乃は願望を膨れ上がらせて勝手に興奮し、
その場で変な想像の一人芝居を始めた。
足元やその周辺に、完全にKOされて未だ意識を取り戻せていない男子中高生を累々と転がらせたまま。


 その日の夕暮れ、琴乃は解放されているY小学校のグラウンドで、元気よくブランコをこいでいた。
そのパワフルな下半身で勢いをつけられたブランコはとてつもない高角度にまで上昇しては、前に後ろに往復していた。
頂点の部分にストッパーがついていなければ、間違いなく一回転しているはずだ。
その隣では、クラスで近くの席に座って同じ班に入っている真奈が静かにブランコに腰かけたまま、
琴乃が猛スピードのブランコで描く、やたら幅広い弧を見つめ続けていた。
真奈も、普段琴乃がやっている行為のことは知っている。今日も直接聞きはしなかったものの、今日もまた同じクラスの学を守ろうと
どこかであのようなことをしてきたんだろうなということは、大体把握できた。
「学君、きっとまだ物足りないんだ。私、もっと強くなる!
もっとキックに磨きをかけて、あんな悪い奴ら10秒で片付けられるぐらいになって、もっともっといっぱい退治してあげれば
学君はきっと振り向いてくれるはずだもん。真奈ちゃんも、そう思うでしょ?」
 ブランコで前後に宙高く舞いながら、琴乃はとんでもないことを口にする。
「芹沢さん、それは……」
 そういうことじゃない、と真奈は返答しようとしたが、やめた。
田中君は人一倍臆病な男の子だから、悪い人たちに絡まれることより、
それからその悪い人たちに芹沢さんがお仕置きをすること、そのやり方に一番怯えているんじゃないかと注意したかったのだが…
そんな現場を目撃したことがある真奈は知っている。
学は今や柄の悪い男たちよりも、そこに決まってやってくる琴乃の強さと無慈悲さに引いてしまっていることを。
しかし今、学に惚れさせるという目標に向かって真っすぐに突き進んでいる琴乃の明るく真摯な表情を見ると、
とてもそれに水を差すようなことを言い出すわけにはいかず、ただ曖昧な返事しかできない真奈だった。